@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00009747, author = {原田, 健一 and Harada, Kenichi}, month = {Mar}, note = {渋沢敬三はロンドンより帰国した後、石黒忠篤と共に台湾米穀大会に出席するために1926年4月18日から5月2日まで台湾に訪れ、5月2日から12日まで沖縄に滞在した。 既に、この時の沖縄の旅の重要性を指摘する論者は多い。しかしながら、ここでは、渋沢のこの旅の動機のもう一つの中心であった植民地・台湾について考察し、さらには台湾原住民に会ったことが渋沢にとって大きな意味をもったことを指摘する。そこには、台湾から沖縄、薩南十島、日本を鳥瞰的に捉え、その全てを海島としてフィールド化しようとする、更には「悠久の民族史」をみようとする渋沢の構想力があった。渋沢は「日本島帝国」の現実を顕在化させるために、映画と写真集によるモノグラフ、民族誌をつくれないだろうかと創案する。 ところで、その構想は、実際はどんな成果、実りをもたらしたのだろう。宮本馨太郎による映画『台湾高雄州潮州郡下 パイワン族の採訪記録』(以下、『パイワン族の採訪記録』)と、鹿野忠雄の“The illustrated ethnography of Formosan aborigines : the Yami tribe”(以下、“The illustrated ethnography of Formosan aborigines”)は、本来は相補い合う一つのモノグラフとして構想されたが、結局、別々の形になる。しかし、時間と場所が異なることで、民族学と映像という異なった領域が越境しあい重なり交錯する、飛躍が生み出され、新しい研究のスタイル、映像表現が創発されることになる。, Article}, publisher = {神奈川大学 国際常民文化研究機構}, title = {08 渋沢敬三と植民地・台湾 -『台湾高雄州潮州郡下 パイワン族の採訪記録』と“The Illustrated Ethnography of Formosan Aborigines : the Yami Tribe” をめぐって-}, volume = {10}, year = {2015} }