@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00009746, author = {井上, 潤 and Inoue, Jun}, month = {Mar}, note = {アチックミューゼアムの主宰者・渋沢敬三が、画像・映像を資料として認識し、多用した様相について検証する。 アチックフィルム・写真が形成されたその原点を、渋沢敬三が幼少期より本能的に兼ね備えていた観察眼に見出すことが出来る。敬三は、生まれた自邸の「潮入りの池」に住む様々な生物を幼年から少年期にかけてよく観察していた。まさに、そこに原点を見出せるのである。 敬三の観察眼は、自身の成長とともに発達し、単なる観察から対象への問題意識をもって観察するようになっていく。さらに、観察によって得られた情報を表現するように変化していった。最初は、友達との遊びの中でのことであったが、やがて、学校での指導をもって、より一層、観察したことをまとめ、発表する機会に接し、観察したことの記録化、資料化が必要であると感じると同時に、文字説明だけでなく、図示の手法が用いられ、画像の有効性に気づき、画像資料への認識が高められていくようになる。 敬三本人の意識も含め、アチックミューゼアムでは、比較的早い時期から写真・映像フィルムを民俗・民具調査にも用いるなど、画像・映像資料を積極的に活用するが、その後の敬三の「日本実業史博物館」構想にみられる、記録資料として積極的に活用する・出来るという画像への認識や、『絵巻物による日本常民生活絵引』に見られる、画像が内包する多くの情報を読み解くといったことなどから、資料性の認識を高め、用い方を高度化させていったことが読みとれる。  渋沢敬三の画像資料認識の特徴として、写真・絵画の記録性を重視している点、自然な姿もしくは意識的な姿を使い分け、より効果的に視覚でとらえている点、特定の資料でなく、多様な資料の観察から情報を引き出している点、出来る限り多くの情報収集を行い、データベース化して資料としている点、いわゆる今日の「情報資源化」を強く志向していた点などを指摘したい。, Article}, publisher = {神奈川大学 国際常民文化研究機構}, title = {07 渋沢敬三の画像・映像資料認識}, volume = {10}, year = {2015} }