@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00009648, author = {川田, 順造 and Kawada, Junzo}, month = {Mar}, note = {チキリを用いた船殻造成は、新潟県南部以南の日本海沿岸部に集中して見られる。本稿では、日本の他の地域における和船造りにおける船殻造成法と比較しながら、福井県から隠岐を含む島根県での筆者の現地調査も踏まえて検討する。鳥取県北部海岸に近い青谷上寺地遺跡で、弥生時代中期中・後葉に比定される約2,000年前の7m 余りの柱に、チキリ接合の跡が日本で最古の例として確認された。現存する歴史的建造物では、10世紀中頃の醍醐寺五重塔にチキリ接合が認められる。青谷上寺地遺跡出土のチキリ接合の技術は、当時大陸から渡来した可能性が大きい。この地方の海岸部をはじめとする日本海沿岸で、石塚尊俊(1960)『民俗資料による刳舟の研究-ソリコ・モロタ・トモドを重点として』で明らかにされたように、チキリを用いた船板の接合法が、現代にいたるまで盛んに行われて来ていたという事実と、併せて考えるべきであろう。日本の縄文遺跡からも相当数発見されている、石器の工具だけで制作可能な、1本の木を刳り抜いた丸木舟から、底を割って接(は)ぎ合わせ、より広い面積を得る技法に加えて、底板に側板を足してゆく、日本で行われて来た船殻造成法には、次の3種を大別できる。(イ)端を斜めに重ね合わせた板に、湾曲した鍔(つば)鑿(のみ)であらかじめ穴をあけておいてから、基本的に3種の鉄の船釘を打ち込む、瀬戸内海で発達した接(は)ぎ合わせ法、(ロ)鼓型に両端の開いた木製の接合具で、平らに並べた板を接(は)ぎ合わせる、本稿で主に取り上げるチキリ締め法、(ハ)アイヌの「イタオマチプ」に見られる、側板に穴をあけて繊維で縛る縄綴じ法。世界ではかなり広く見られるこの技法は、日本ではアイヌ以外の地域からは、考古学遺物からも、民俗資料からも知られていない。本稿では、日本では用いられていないが、台湾南東部の蘭(ラン)嶼(ユー)からフィリピンにかけて見られるクワの木釘を用いた船板接合法も比較の参考とする。, Article}, publisher = {神奈川大学 国際常民文化研究機構}, title = {07 日本海沿岸のチキリによる船殻造成法をめぐる考察 -船殼造成法における位置づけの試み-}, volume = {5}, year = {2014} }