@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00009645, author = {赤羽, 正春 and Akaba, Masaharu}, month = {Mar}, note = {環太平洋の伝統造船には大きく2つの技術的系譜がある。南方船と北方船の技術的系譜である。前者は船形が舳先と艫が異なる形をとる舳艫異形型が多く、船側外板の張り方はCarvel-build(平板張り)で、側板材の断面同士を繋ぐ。そして、推進には帆を主体とする、3つの特色で語られる。一方の北方船は、舳艫が同じ形を取る両頭式で、船側外板は下の板の上に被せ張りするClinker-build(鎧張り)、推進にはシングル、ダブルブレードパドルの多用という3 つが特色とされてきた。 この技術的系譜が環太平洋で交わる日本海と日本列島は、南方船と北方船の技術が交錯混淆する(南北船と標記)ところである。両技術の地理的広がりは既に論じた(『神奈川大学国際常民文化研究機構年報』2)が、編年として把握する試みは達成されていない。そこで、日本の船の編年を試みる。 南方船の技術がどの時代にどのように入ってきて、板合わせ船の形態を決定していったのか、日本の船を時代に沿って編年としてまとめた試みはまだない。具体的には、大陸の北方船の技術が日本に入ってきて、日本の丸木舟を板合わせ船に変えていく経緯を具体的な残存資料によってまとめる。また、南方船の技術がどの時代に導入されて日本列島の船の技術を席巻していくかについてまとめる。 中世日本の船についての編年を明らかにする試みは、各地に残存している現物の船の資料から溯ったり、文献に頼ったりしてきた。しかし、丸木舟から板合わせ船への移行には、当時の革新的技術(南方船と北方船の技術)が関わっている。移行期の船を技術の系譜で探ると、南方船が古代から近世にかけて日本列島を席巻していた姿が明らかとなっている。そして、この延長線上にサンパ・カワサキといった二枚棚漁船や弁財船が発展を遂げていたことが明らかとなる。  しかし、日本の船の発達史の基層には、シベリアから南下する北方船の技術が広く横たわっていたことが分かってきた。特に、樹海を辿って南下する森林文化の中に、北方船の技術が脈打っている実態が明らかとなってきている。陸では北方船の技術が古代から広がり、海では南方船の技術が日本列島を席巻していく構図を描くことができる。, Article}, publisher = {神奈川大学 国際常民文化研究機構}, title = {04 南北船の系譜}, volume = {5}, year = {2014} }