@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00009634, author = {坂野, 徹 and Sakano, Toru}, month = {Mar}, note = {本稿では、戦前日本における縄文土器をめぐる研究をリードした研究者の一人である甲 野勇の戦時中の活動を検討し、太平洋戦争と考古学の関係について考える。  東京帝国大学理学部人類学科選科で学んだ甲野は、1920 年代中盤以降、同窓である山 内清男や八幡一郎らと協力しながら、縄文土器の編年に関する詳細な研究を推し進め、彼 らはいつしか「編年学派」と呼ばれるようになった。「編年学派」は縄文土器の編年を確 立することで、明治期以来、土器を残した「人種」の問題と関わっていた考古学研究を人 類学研究から切り離すことを目指したが、一方、彼らの研究は、1910 年代後半に始まる 「日本人種論」の新たな動きを前提にしたものでもあった。  甲野は、太平洋戦争期になると、厚生省研究所人口民族部で嘱託として勤務を始めるが (1942 年)、そこで彼が実施したのが、有名な『大和民族を中核とした世界政策の検討』 と題する膨大な秘密文書中における考古学的解説の執筆である。そこでは、甲野自身が 1935 年に発表した編年研究の成果が再掲されるとともに、かつて禁欲したはずの「日本 人種論」についての議論が記されている。ここには、大東亜共栄圏構想下、戦争協力を行 った考古学者として知られる後藤守一の影響がうかがえる。  戦後、かつての甲野の同志である山内清男は「縄文研究の父」として高い評価を受け、 戦争協力者の代表格である後藤守一も復権を果たし、戦後考古学を率いていくことにな る。だが、甲野勇は、戦後考古学の主流から距離を置き、博物館建設への尽力など独自な 活動を進めていった。ここには甲野なりの戦争への反省の姿勢がみてとれる。, Article}, publisher = {神奈川大学 国際常民文化研究機構}, title = {06 考古学者・甲野勇の太平洋戦争 -「編年学派」と日本人種論-}, year = {2013} }