@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00009624, author = {太田, 心平 and Ota, Shimpei}, month = {Mar}, note = {これまで社会文化人類学の研究において写真は、民族誌を書くための資料か、民族誌に掲示するイラストの一部としか考えられてこなかった。写真自体を研究対象にしようとする研究も存在したが、それらは撮影の時期や場所や経緯、つまり写真が生産された状況を議論の的とするもので、つまるところ民族誌を書くための資料だったといってよい。特に、植民地写真という物体について、あるいは韓国・朝鮮研究という研究枠においては、この傾向が顕著である。 これに対し本稿は、植民地期の朝鮮で撮られた写真を題材にすえ、近年の社会文化人類 学の潮流を導入することで、これまでとは別の見地を展開しようとする。まず、近年の韓国(ソウル仁寺洞)において、植民地期朝鮮やその後の韓国国内で撮影されたガラス乾板が、どのように商人に取引され、個人にコレクションされているのかを、聴き取り調査の結果から描き出す。そのうえで、議論の第1 の段階として、「モノの生産について論じることは、そのモノを消費することである」という考え方をうち立てる。そのうえで第2 の段階では、植民地期の朝鮮で撮られた写真が、現代韓国においては消費物となるだけではなく、逆に人びとを創るエージェンシーになっているということを示していく。ただし、物体のエージェンシーについて先行研究を追随するようなそうした議論が、本稿のもとになった調査研究ではスムーズに進まなかった。この点を、第3 の段階で整理する。 社会文化人類学のなかでもこうしたマテリアリティの概念が導入されてこなかった写真 研究や韓国・朝鮮研究に、こうしてそれを導入しようということは、本稿だけで果たしきれるような課題ではない。しかし本稿は、上記の三段階をもって、ひとつの試論となりえるだろう。, Article}, publisher = {神奈川大学 国際常民文化研究機構}, title = {07 写真のマテリアリティ -現代韓国に残る植民地遺産を再考するための一試論-}, year = {2013} }