@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00009603, author = {小岩, 信竹 and Koiwa, Nobutake}, month = {Mar}, note = {明治期における日本の漁業制度改革と漁村での漁業紛争が密接な関係にあることは、こ れまで指摘されている。しかし、漁業制度整備が実際に漁業紛争、特に漁場紛争にどのよ うに関わったのかは明らかではない。本稿はこの問題点を、青森県の尻屋を例として、実 際の漁場紛争を見ることによって解明しようとするものである。研究の結論は以下のとお りである。  尻屋は隣接する尻労、岩屋と比べて、耕地や山林も少なく、漁業のみで生活する集落で あった。このため、漁業上の権益に執着し、紛争も多かった。漁場紛争の展開を振り返れ ば、地域の漁業をめぐる制度的な変遷に影響されるところが大きく、制度上の転換が起こ るたびに集落として迅速に対応し、自己の権益を主張した。即ち、集落管内にある隣接集 落の入会地を自らのものとしたいという主張である。尻屋にとって漁業の利害は山林の利 害とともに、集落全体の問題であった。このため、集落をあげて隣接する集落との紛争に 対応した。旧藩時には盛岡南部藩に漁場取り戻しを訴えていたが、青森県の支配下に入る と、地租改正や海面官有宣言の時期など、制度変革が行われるたびに集落をあげて権益を 擁護すべく主張を繰り返した。その訴えの相手は青森県であった。漁業組合組織である東 北外海漁業組合は、漁業権の新たな申請に影響力を行使したが、集落間の漁場紛争には係 わった形跡がない。  漁業法の制定と施行は漁場紛争に大きな影響を与えた。漁業権の確定は紛争での主張を 固定化するものであり、入会権も共同専用漁業権に含まれ、紛争は決着せざるを得なかっ た。尻屋にとっては漁業の権益は集落全体の利害であったのだが、山林の利害も合わせて 変化したことが注目される。漁業法の施行以後は、集落の漁業に関する利害の代弁者は漁 業組合になった。この点は尻屋をカバーしていた漁業組合準則に基づく、漁業法成立以前 の漁業組合が郡レベルの広域的な漁業組合であったことが影響している。, Article}, publisher = {神奈川大学 国際常民文化研究機構}, title = {05 近代における青森県下北漁村をめぐる漁場紛争の展開 -尻屋の事例-}, year = {2013} }