@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00009602, author = {伊藤, 康宏 and Ito, Yasuhiro}, month = {Mar}, note = {明治政府は、地租改正事業開始2 年後、漁業制度の変革(明治8 年2 月の太政官布告第 23 号「雑税の廃止」、同年12 月の太政官布告第195 号「海面官有宣言」と太政官達第205 号 「海面借区制」、翌年7 月の太政官達第74 号「海面借区制の取消」の太政官布告・達)に着手し た。一方、明治8 年以前に府県独自の漁政は滋賀県や島根県で確認されるが、通常はこ れら布告・達に対応する形で各府県漁政が行われ、本格的には明治10 年代に各府県で発 せられた漁業取締規則・税則からである。本研究は、島根海域を対象に島根県における明 治初年の漁業制度変革の歴史的特徴について主に2 つを検討した。1 つは島根(浜田)県 による明治9 年「漁業場区」台帳の作成・管理で、もう1 つは明治9 年から11 年にかけ て起こった島根県邇摩郡静間村和江浦における新旧の「漁業場区」紛争である。前者は明 治8 年12 月「島根県乙第173 号」の「浦方取調」報告の形で「漁業場区」の基本情報 (位置・期節・反別面積・拝借人等の基本項目)が浦区から郡(県)に報告され、それが翌年 の明治9 年「漁業場区」台帳として整理され、島根県下の「漁業権」の把握・管理の基 本資料となったであろうと結論付けた。一方、後者は明治9 年「漁業場区」台帳作成・ 管理の最中に起こった新旧の「漁業場区」紛争であった。争点は明治9 年3 月の浜田(島 根)県令第58 号布達のなかの「同業結社」及び「浦協議の上申請」の趣旨が和江浦では 新旧交えた浦請組織として「漁業場区」利用が申請されたが、近隣周辺の浦々では旧網稼 人を中心とした漁業申請が許可されたため、同浦でも旧網稼人中心に再申請され、それが 原因となって新旧の紛争が2 年半ほど続き、この間のやりとりが新旧の申請者と県庁(県 令)ほかの間で行われた。そして最終的な決着は、旧網稼人中心の旧慣体制(鰯網1 、大 敷網2 、鰍網2 )から複数の旧網稼人7 ヶ所(鰯網3 、大敷網2 、鰍網2 )と浦請8 ヶ所 (鰯網7 、鰍網1 )の新たな漁場利用秩序の確立を見た。この「漁業場区」紛争は旧慣主義 と浦請・地先漁場主義(固定性のある大敷網は旧慣のままで、移動性のある鰯網等は新規に浦 請として許可)の折衷案で解決が図られた。この点が注目される。, Article}, publisher = {神奈川大学 国際常民文化研究機構}, title = {04 明治初期の漁業制度変革 -島根県「漁業場区」を事例に-}, year = {2013} }