@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00009590, author = {田和, 正孝 and Tawa, Masataka}, month = {Mar}, note = {台湾の伝統的な定置漁具である石滬について、1910 年代に提出された漁業権免許申請 の記載内容を分析することによって、当時の利用形態と所有形態を考察した。石滬は、干 満差の大きい遠浅の海岸部に、馬蹄形や半円形、あるいは捕魚部を設けた形に石を積み上 げて築造した大型漁具である。かつて本島北西部と澎湖列島に多数分布していた。国史館 台湾文献館が所蔵する台湾総督府文書の中に、1914 年の澎湖列島および1915 年の台北 庁芝蘭と新竹庁苗栗の石滬漁業権免許申請書類が保存されている。いずれも当時の石滬漁 業を知るうえで貴重な資料である。小論では、これらの資料を用いて上記3 地域の石滬 の漁場利用形態と所有形態について比較検討を試みた。その結果、以下のような諸点が明 らかとなった。芝蘭沙崙仔では石滬が共同で築造され、その後、所有権は親族を中心に継 承されてきた。基本的には自家消費用の魚類を獲得するために使用されたと考えられる。 しかし、個人が石滬を買収することによって、所有者は特定の者に集中する傾向が出現し ていた。所有者の中には、石滬を他人に貸与して賃貸料を得た者がいた。苗栗の外埔では 石滬の持分(株)は基本的には男系親族が継承した。世代をこえて1 株が次世代の複数者 に分割して継承されることもあった。結果として、この継承方法が、各人が石滬を利用す る(巡滬)回数を減らす結果を招いた。この背景には、漁獲量の減少もあったと考えられ る。澎湖列島北部各郷の石滬の所有形態には2 つの対照的な特徴が見出された。ひとつ は、ほとんどの所有者が1 基の石滬に関わっており、いわば郷全体で利用が平等になされ ている形態、もうひとつは1 人がかなり多くの石滬に持分を有しているような形態であ った。このような石滬への依存度の違いは、地域が農業を主たる生業としたか否かに帰結 するであろう。文書資料の分析に、筆者が現地調査で得た知見を加え、「現代をして過去 を語る」可能性をさらに探ることが今後の研究課題である。, Article}, publisher = {神奈川大学 国際常民文化研究機構}, title = {近代期の台湾における定置漁具石滬の利用と所有 -1910 年代の漁業権資料の分析を通じて-}, year = {2013} }