@article{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00009433, author = {原田, 健一 and Harada, Kenichi}, journal = {神奈川大学 国際常民文化研究機構 年報}, month = {Oct}, note = {渋沢敬三は、渋沢栄一の孫として、渋沢財閥の後継者となり実業家として活躍したが、一方で、自ら研究グループを組織し民族学、民俗学、漁業史などの研究をおこない、また、偉大なるパトロンとして多くの研究者の援助もおこなった。渋沢敬三は、財界と研究の世界をつなぐ立場にあり、社会的な役割は重なっていた。そのため、その視角は輻輳化され、ハイブリッド化されており、モノである民具、生活用具などが表す文化の様相を捉えるときも、経済、流通などの側面から、社会の基底から物と人とが移動していく様態から捉えようとした。 ここでは、そうした渋沢敬三の独特な立場と、そこからもたらされた研究視角の意味について、日本実業史博物館(以下、「実博」とする)の資料、ならびに実博の構想から生まれた渋沢敬三の編著『明治文化史』の『生活編』と『社会・経済編』から考察する。 これらの資料と編著が扱う時期は、幕末から明治へかけての「画期的な変化」の時期であり、欧米諸国との関係だけでなく、アジア諸国と新たな関係が構築されることで、日本の近代化がなされた時期でもあった。渋沢はそうした関係性を捉え、物をめぐる生産、流通が、諸外国との関係のなかでいかに再編、構築されていたかを示し、さらに日常生活のなかで、これらの物がいかに消費され、常民の意識が近代化されたのかを捉えようとした。 同じ時期を扱った、柳田国男の『明治大正史 世相篇』、ならびに『明治文化史 風俗編』と比較すると、柳田は、明らかに日本という固有の地域の視点から生活の中の言葉や感覚を手がかりにし、日本人の心的世界を分析、捉えようとしており、柳田と渋沢の捉え方は大きくことなっている。しかしながら、その提示されたビジョンは重なる部分と重ならない部分を含みつつも、常民の現実の様相を捉えている。, Article, 論文}, pages = {29--41}, title = {モノをめぐる渋沢敬三の構想力 -経済と文化をつなぐもの-}, volume = {1}, year = {2010} }