@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00008012, author = {萬井, 良大 and Manny, Yoshihiro}, month = {Nov}, note = {本稿では中世二神氏について、その全体像を出来る限り明らかにしつつ、その性格について考察した。全体像の復元にあたっては、まず二神文書の性格について分析し、また二神文書に限らず広くさまざまな史料を取り上げた。 これにより二神文書の中心となる「二神司朗家文書」「片山二神家文書」には、多くの収集文書が混在しているとして、史料群としての性格を明らかにした。また二神氏の前身とされる長門国豊田氏や、戦国時代以前の二神氏の活動について、断片的に残る史料から復元を試みた。 豊田氏の忽那諸島で活動するようになる契機については、豊田・二神両氏とも関係の深い宇佐八幡宮との結びつきが背景にあるのではないかと推測した。ただし長門豊田氏が二神島に来る以前より同島には二神家が存在し、黒子氏・多□井氏などが二神氏を名乗っていたと考えられる。 中世後期の二神氏は風早郡粟井郷の豪族である贄氏と何度も縁戚関係を結んでおり、二神氏が粟井郷に進出していく背景に、こうした縁戚関係があったものと思われる。また河野予州家との関係の背景にも贄氏の存在があったと推測した。 こうした贄氏との関係や、二神氏と宇佐八幡宮との関係から、二神氏が神人・供御人の系譜であった可能性を示唆し、宇佐八幡宮と防予諸島との関係や、粟井郷の贄氏の様相などについて研究を深めていくことで、こうした二神氏の性格を明らかにしていけるのではないかと結論づけた。, Book}, publisher = {神奈川大学日本常民文化研究所}, title = {中世二神氏の様相}, year = {2016} }