@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00008001, author = {樫村, 賢二 and Kashimura, Kenji}, month = {Feb}, note = {アチック・ミューゼアムは、民俗、民具、漁業史をはじめ多くの研究成果・資料を残し、後続の研究者が歩むべき道を示した。しかし戦中戦後の混乱によりアチック・ミューゼアムの収集資料は分散し、長く研究者による活用は難しかったものもある。 本稿では、昭和9、10年のアチック・ミューゼアムの隠岐調査関係資料を中心に、その地道な資料の検討から見えてきたことを紹介するとともに、その資料性を確認し、分散防止、分散したとしても再構成が可能とする方法と重要性を検討する。 まず『隠岐島前漁村採訪記』から隠岐調査そのものの概要と意味を検討し、渋沢の社会経済史重視の姿勢と、隠岐再採訪の成果物であるモノグラフ・調査報告など文字資料、民具資料、アチック写真など画像資料、通称渋沢フィルムという映像資料という大きく4種類について確認する。また渋沢敬三は、これらの資料は博物館を拠点として保存、研究、公開を考えていたと思われるが、不運にも分散した結果、神奈川大学日本常民文化研究所、渋沢史料館、国立民族学博物館、宮本記念財団など各組織の所蔵となり、その努力によって整理、公開、研究が進められている。その分散した資料を統合することが、より研究に寄与することは明らかであるが、重要なメタデータが少なく資料統合が容易でない状況にある。それは今後の研究資料においていかにメタデータを残すことが重要であることを確認することにもなった。今回は特に民具資料、写真資料について明らかになったことを報告し、また個人的に関心を抱くかつて盛んだった隠岐における肥料藻の採集・利用について、隠岐採訪に関する資料から研究の前進を期待したが、その成果は乏しくアチック・ミューゼアム関係資料の限界も確認することになったことを述べる。, Book}, publisher = {神奈川大学日本常民文化研究所}, title = {昭和9年、10年の隠岐採訪からみるアチック・ミューゼアム資料}, volume = {26}, year = {2018} }