@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00008000, author = {小林, 光一郎 and Kobayashi, Koichiro}, month = {Feb}, note = {アチックの第一次・第二次隠岐調査(昭和9年5月、昭和10年8月)における調査成果は当時の貴重な事例報告であるとともに地域における貴重な民俗・歴史資料であり、別地糸満に関わる資料など、隠岐以外の地域においても貴重な記録となっている。また、アチックの研究史においても同調査はさまざまな意義・意味を持つ調査であった。 まず、アチックで行われた「イトマン」として括られる人々や漁民・船、あるいはこれらの移動・出漁などの研究において、薩南十島調査とそこから引き続き行なわれる第一次隠岐調査までが、アチックにおける研究のはじまりであり、具体的な調査が第二次隠岐調査であったこと。次に朝の潮汲みという民俗学的慣行からは、「日本人」と塩の関係性という民族学的視点へと展開し、アチックにおける「塩」という研究課題を更に考えさせた事例であったこと。16ミリによる牛突き撮影では、農業や漁業といった生業面以外で行なわれる余暇的・余興的な行事ということを意識した上での撮影であり、後の新潟県古志郡二十村の牛突き調査にまで繫がる事例であったこと。第二次隠岐調査を基本とした三篇の報告書がアチック初の刊行物で、それぞれが総合的な民俗誌でなくても貴重な資料となりうることを示し、そこに資料や研究に関する多様な視点を持ったアチックの姿勢が間見えていることなどである。 アチックではこの隠岐調査以降もさまざまな調査を行い、アチック関係者による総合的な民俗誌を目指した調査としては昭和12年の志摩和具調査において行われることになる。その前段を為す隠岐調査は、限定的であれ「資料を提供する」というアチックの理念に基づいた姿勢の下に報告書を刊行し、「イトマン」をはじめとする出漁や移住・移動する漁民の研究の文脈上における調査としてのメルクマールであり、且つ、アチックにおけるさまざまな研究のメルクマールともなった調査でもあったのである。, Book}, publisher = {神奈川大学日本常民文化研究所}, title = {アチックにおける隠岐調査 -アチック研究史における隠岐調査の位置づけ-}, volume = {26}, year = {2018} }