@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00007988, author = {大嶋, 陽一 and Ooshima, Yoichi}, month = {Feb}, note = {江戸時代から昭和初年まで、鳥取県内では珊瑚細工が盛んに生産されていた。珊瑚細工の原料となる白珊瑚や黒珊瑚、青珊瑚は、いわゆるアカサンゴ・シロサンゴ・モモイロサンゴといった温暖な海域で採取される宝石サンゴの類ではない。その起源は、江戸後期の文政年間(1818~30)に創始された「白珊瑚(はくさんご)細工」にさかのぼり、19世紀前半には毒消し効果を銘打った楊枝や箸として因幡国岩井郡の岩井温泉を中心に、諸国へ販売されていた。 明治期になると、生産拠点が岩井郡から鳥取市へと変わり、白珊瑚や黒珊瑚(海松)等の珊瑚細工を生業とする者が増加した。明治10~30年代にかけて内国勧業博覧会をはじめとする各種の博覧会に出品し、賞を受賞したほか、皇室へ献上されることで内外の名声を獲得する。この過程で江戸時代以来の白珊瑚箸に加え、ステッキや写真掛など近代的な商品開発も進み、さらに鉄道開通も相まって販売額も増大する中で鳥取の珊瑚細工は隆盛を迎える。 しかし、鳥取の珊瑚細工は産業として発展させたいという思惑と、一方で増産を阻む慢性的な原料確保の不安というディレンマを抱えていた。この問題が噴出したのが、大正末から昭和初年であった。大正時代になると細工の原料となる珊瑚を捕獲していたカレイの延縄漁が機船底曳き漁の展開とともに衰退し、珊瑚細工自体も一時下火となる。その後回復の兆しを見せたが、昭和12年(1937)に勃発した日中戦争以降、戦時統制によって再度衰微してしまった。終戦後、かつての隆盛を取り戻すことなく、鳥取の珊瑚細工は歴史の表舞台から姿を消していった。, Book, 研究ノート}, publisher = {神奈川大学日本常民文化研究所, 神奈川大学国際常民文化研究機構}, title = {鳥取の珊瑚細工}, volume = {25}, year = {2017} }