@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00007987, author = {國吉, まこも and Kuniyoshi, Makomo}, month = {Feb}, note = {1875(明治8)年、琉球の処分を控えて明治政府より派遣された内務省役人の1人に河原田盛美がいるが、河原田は沖縄滞在中に、同所に産出する夜光貝殻に注目し、貝釦原料として海外輸出を試みたところ成功を収めた。同貝殻は近代以前の沖縄では主に螺鈿の原料及び食用に供されてきたが、河原田の試みにより新たに海外輸出品としての地位を確立する。それ以降夜光貝殻は漁業者の採捕対象となり沖縄の島々各地で乱獲されるようになる。 本研究ノートでは近代以降の沖縄で換金性の高い物産として注目されるようになった夜光貝殻をめぐっての人々の動き、同貝殻の採捕状況などを明らかにできないか試みるものである。 採捕状況については、「沖縄県統計書」等の沖縄県調査資料、「喜舎場家資料」等の八重山島役所調査資料等を見るに、夜光貝殻の採捕高は急減と急増を繰り返し、まさに乱獲状況にあったと考えられる。当局者らによる当時の調査報告にもまた乱獲を危惧する文言が見られる。次に、夜光貝殻をめぐる人々についてだが、これらの人々は大きく2つに分けられる。1つは採捕者である糸満漁夫ともう1つは取引業者である寄留商人である。両者を結びつけた要素は換金性の高い夜光貝殻であり、彼らが結びつくことにより、同貝殻を採捕する際の効率を上げるため「ミーカガン」と俗に呼ばれる水中眼鏡が沖縄で考案されたこと、各地での乱獲の結果、採捕漁場を年々拡大し、当時無人島であった尖閣諸島へまで漁夫が出漁したこと等を資料を通じて考察した。, Book, 研究ノート}, publisher = {神奈川大学日本常民文化研究所, 神奈川大学国際常民文化研究機構}, title = {明治初期河原田盛美の来沖とその後の沖縄県における夜光貝等貝殻類利用の変遷}, volume = {25}, year = {2017} }