@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00007983, author = {高江洲, 昌哉 and Takaesu, Masaya}, month = {Feb}, note = {南会津出身の河原田盛美は、琉球という南会津とは違う環境の場所に赴き、そこで「琉球処分」に関与し、「異形」の琉球人を目の当たりにしたにもかかわらず、日本と琉球は同じという「日琉同祖論」の言説を述べている。本稿は、この点に注目し、河原田本人は自身の日本観に疑問を抱かなかったのか、抱かなかったとするならばそれは何に由来しているのか、この点の解明を主たる目的としている。そのための手がかりとして、河原田の物産に対する強い関心に注目した。こうした物産に対する視点を考えた場合、そのモノが「役に立つかどうか」を見極める「効用」観を指摘することができる。この「効用」観には、分類の視点や改良の視点をあげることができよう。 河原田が琉球に赴任した頃の日本は、国家の独立と文明化というものが主たる目標であった。同時代人としての河原田も、幕末期に「荒木田守宣ノ門ニ入リ神道祓式等ヲ学」んでいるように「皇国」意識だけでなく、「今ヤ万国交際ノ日ニ当り諸般文化ノ域ニ向フ、第一国体ヲ確立シ富強ノ方策ヲ立ル……全国ノ人民勉メテ百工物産ヲ富殖シ」と、国体の確立と物産富強とを結び付ける意識も持っていた。このように河原田は、国家の独立のために文明化を担うことに強い使命感があった。こうした河原田の物産に対する「効用」観や国家観を考えると、国益に即して、琉球が日本であると分類しても不思議ではない。河原田の「効用」観と国家観の関わりから考察することで、これまで別々に言及されてきた「琉球処分」への関与や水産官僚時代の働きの連続性を指摘する。 対象を眺め、それを分類するという思想が、産業か、それとも政治かによって分けられるのではなく、博物学的探求と政治の仕事の間に断絶もなく併存し、それが後の水産業改良という勧業実践にもつながることを示すことで、「転換」と「底流」する連続性について言及することを目的としている。, Book}, publisher = {神奈川大学日本常民文化研究所, 神奈川大学国際常民文化研究機構}, title = {河原田盛美における「分類」の思想}, volume = {25}, year = {2017} }