@article{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00006099, author = {湯田, 豊 and Yuda, Yutaka}, journal = {語学研究}, month = {Mar}, note = {I, 5,1-13。最初に, 謎の詩節(sloka)がある。そして, これに対して, 注釈が施される。生類の父は7種類の食物を生み出す。創造者としての父は, 1つを全生類のために, 2つを神々のために, 1つを家畜のために, 3つを自己自身のために創造した。父が自己自身のために創造した物は, 言葉, 心, および息である(1-3)。言葉, 心, および息の3つからアートマンは構成されている。つまり, アートマンは現象形態の背後に隠されている究極的実在ではなく, 現象形態そのものである(4-13)。I, 5,14-15。生類の父プラジャーパティには, 16の部分がある。アートマンである。このアートマンは, (車輪の)こしきである。このアートマンは永続的なものであり, 不滅である。それゆえ, このように知っている人は, たとい一切を失っても, アートマンによって生きる。I, 5,16。ここでは三界, およびそれらを獲得する仕方が述べられている。I, 5,17-20。息子に対する父の遺贈(sampratti)が, ここでは問題になっている。父が自己の息子に自己の感覚器官を遺贈した後に, 大地, 天, および水中から, 息子のなかに神的な言葉, 心, および息が入る。そして, このように知っている人は, すべての生類のアートマンになり, 彼らにとって, 生類の悲しみは無縁である。しかし, 20において説かれるアートマンは, 神的な息と実質的に同一である。I, 5,21-23。Vrata-mimamsaにおいて説かれているのは, 神的な息である。「誓いの論究」は, われわれにヨーガの技術を思い出させる。言葉, 眼, および耳が疲労して死に捉えられるのに対して, 神的な息, あるいは中央にある息は疲労することもなければ, 死ぬこともない。風が休止することがないように, 自己に関しては息は衰えることもなく, 休止することもない。この神的な息は, 実質的にはアートマンとみなされる。I, 6,1-3。ここの箇所で, われわれは極めて注目に値する思想に出会う。全世界は, ただ1つであるアートマン(自己)の3重の現象である。アートマンは現象形態の背後に隠されている存在ではなく, みずから現象する存在である!, ここでも, アートマンは実質的には神的な息である。アートマンは不死である。アートマンは, たとい1つであっても, 3つ1組(traya)である。アートマンと現象形態の間に何の差別もないことを, ここの箇所の作者はわれわれに教える。アートマンそのものが, そのまま現象するという思想が, ここでは見いだされる。}, pages = {13--39}, title = {ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシッャド I, 5,1-6,3}, volume = {6}, year = {1984} }