@article{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00006026, author = {William, McOmie}, issue = {52}, journal = {人文学研究所報, Bulletin of the Institute for Humanities Research}, month = {Aug}, note = {本稿は,幕末日本に滞在したアメリカ人の日本観と同時期の日本側の記録との比較,相互観を要約したものである。 太平洋に於いて操業していたアメリカの捕鯨船が日本近海で難破した際に避難した乗組員たち,あるいは捕鯨船の劣悪な環境から逃げ出した逃亡者たち,または日本を知りたかった冒険家など,1846年から1850年にかけ日本に滞在したアメリカ人船乗りたちの日本観を論じる。 1846年6月,日本の択捉島の近くで嵐のためアメリカ捕鯨船Lawrence号が難破し,乗組員7人がボートに乗り択捉島に上陸,島内の勤番所にほぼ1年間監禁された。その後連行された長崎でも,寺の部屋に監禁され,何度も奉行所で詳しい取り調べを受けた。その間に1人が死亡したが,その死因はアメリカ人の記録と日本の記録では異なっている。翌年アメリカ人6人はオランダ船に乗り,ようやく日本を出ることができた。 1848年,アメリカの捕鯨船Lagoda号から逃亡した15人の乗組員が松前藩の領土に上陸した後捕らえられ,数ヶ月後長崎に連行,寺に監禁され奉行所で取り調べを受けた。2,3 人が長崎にいる間に繰り返し逃亡を試み,監禁はその度に厳しくなっていった。それに関連して2 人が死亡し,ほとんどの者が病気になるなどの苦難を強いられた。 その間に,別の捕鯨船で日本近海に来たもう1人のアメリカ人ラナルド・マクドナルドは,大胆な冒険家として捕鯨船から小さなボートに乗り利尻島に上陸した後捕らえられ,宗谷や松前経由で長崎に連行された。彼も奉行所で取り調べを受け,数ヶ月間長崎の寺に収監された。1849年4月,アメリカの軍艦Preble号が来て,Lagoda号の乗組員たちと共に日本を後にした。 これらのアメリカ人たちが「鎖国時代」の日本に於けるそれぞれの経験について残した記録を読み,当時の日本,オランダ商館の記録と比較し,その共通点と相違点を分析する。それらの記録の中の「真実」はどこにあるか,どのようにお互いの文化を解釈したのか,それらの相互観を論じる。, Departmental Bulletin Paper}, pages = {27--58}, title = {Of Whale Oil and the Spirit of Adventure : American Seamen in Japan,1846‐1850}, year = {2014} }