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京都帝国大学における中国人留学生 -明治大正期(1903―1926年)の入学者を中心に-
https://doi.org/10.24792/0002001309
https://doi.org/10.24792/00020013092cad2b44-5cd4-4827-8ab9-d1df28e0ed21
| 名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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| Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||
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| 公開日 | 2025-03-26 | |||||||
| タイトル | ||||||||
| タイトル | 京都帝国大学における中国人留学生 -明治大正期(1903―1926年)の入学者を中心に- | |||||||
| 言語 | ja | |||||||
| タイトル | ||||||||
| タイトル | 京都帝国大学的中国留学生 -以明治大正期(1903―1926年)入学者为主要分析对象- | |||||||
| 言語 | zh-cn | |||||||
| タイトル | ||||||||
| タイトル | Chinese Students at Kyoto Imperial University -The main focus is new students in the Meiji Taisho period (1903―1926)- | |||||||
| 言語 | en | |||||||
| 言語 | ||||||||
| 言語 | jpn | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||
| 主題 | 京都帝国大学 | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||
| 主題 | 中国人留学生 | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||
| 主題 | 留日学生 | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||
| 主題 | 「五校特約」 | |||||||
| キーワード | ||||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||
| 主題 | 「外国学生」 | |||||||
| 資源タイプ | ||||||||
| 資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||
| 資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||
| ID登録 | ||||||||
| ID登録 | 10.24792/0002001309 | |||||||
| ID登録タイプ | JaLC | |||||||
| 著者 |
周, 一川
× 周, 一川
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| 抄録 | ||||||||
| 内容記述タイプ | Abstract | |||||||
| 内容記述 | 京都帝国大学における最初の留学生は1903年に入学した馬和(君武)であった。以降,1926年までに300人を超える(実数307人,延べ人数330人)中国人留学生が在籍した。 京都帝国大学には特徴的な留学生制度として「外国学生」制度があったが,その定義は時期によって変化した。明治期の「外国学生」は外国人学生の意味で,単純に国籍によって判断されていた。しかし,大正期後半からは「外国学生」とは別に留学生本科生が存在する状況となって,国籍だけでは線引きができなくなり,定義が曖昧となった。昭和期に入ると,「外国学生」の定義が旧制高等学校以外の教育機関(中国の教育機関を含む)出身の留学生と明確になった。 1908―1922年に実施された「五校特約」協定により「五校特約生」が誕生し,彼らの帝大進学は15年以上続き,中国人帝大留学の第一次ブーム(第二次は1930年代半ば)を引き起こした。 中国人帝大生は数としてはそれほど多くなかったが,全体的にみると,彼らは帰国後中国社会の各分野の中核を担う人材となり,中国の近代化の発展に大いに貢献した。 |
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| 言語 | ja | |||||||
| 抄録 | ||||||||
| 内容記述タイプ | Abstract | |||||||
| 内容記述 | 京都帝国大学最早的留学生是1903年入学的馬和(君武)。1903―1926年期间有超过300名(各学部总人数330名,实际人数307名)的中国人留学生就读于京都帝国大学。 始于明治时期的"外国学生"制度是京都帝国大学特色制度,其内含根据时期的不同发生了变化。明治时期的"外国学生"是以国籍区分,含义是外国的学生。1920 年前后,出现了留学生本科生(大都是一高~八高的■业生)和"外国学生"并存的状况,已无法以国籍来界定"外国学生",此时期是"外国学生"定义的转换期。进入昭和时期以后,"外国学生"的内涵逐渐清晰起来,是指旧制高等学校(一高~八高)以外的教育机构(包括中国教育机构)出身的留学生,有别于留学生本科生。 中日两国间"五校特约"协定(1908―1922年)的实施,培养出了一批"五校特约生",他们中的一部分进入帝国大学就读,其持续时间超过15年。从本文的数据可知,这些留学生引发了中国人帝大留学的第一次高潮(第二次高潮发生在30年代中期)。 帝大生人数不多,但是他们回国后大都成为各个领域的中坚力量,为中国近代化的发展做出了重要的贡献。 |
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| 言語 | zh-cn | |||||||
| 書誌情報 |
ja : 人文学研究所報 en : Bulletin of the Institute for Humanities Resarch 巻 73, p. 169-201, 発行日 2025-03-14 |
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| ISSN | ||||||||
| 収録物識別子タイプ | PISSN | |||||||
| 収録物識別子 | 0287-7082 | |||||||
| 書誌レコードID | ||||||||
| 収録物識別子タイプ | NCID | |||||||
| 収録物識別子 | AN00122854 | |||||||
| 著者版フラグ | ||||||||
| 出版タイプ | VoR | |||||||
| 出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||||
| 出版者 | ||||||||
| 出版者 | 神奈川大学人文学研究所 | |||||||
| 言語 | ja | |||||||
| 出版者 | ||||||||
| 出版者 | The Institute for Humanities Research. Kanagawa University | |||||||
| 言語 | en | |||||||