@article{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:02000019, author = {Saito, Junichi and 齋藤, 純一}, issue = {65}, journal = {国際経営論集, International Management Review}, month = {Mar}, note = {コロナ禍の現在にあって、今ほど1910年から1920年代にかけてのヨーロッパの精神風土に酷似した時期はない。当時は経済不況が暗い影を落とし、ヨーロッパの国々はそれまでのキリスト教を基盤とした共通の価値観を共有できなくなり、各国の利害を求めて突き進むようになった。  ウイルソンの提唱した国際連盟の理想も絵に描いた餅に過ぎず、第一次大戦の勃発を避けることはできなかった。世界の恒久的な平和を唱えた国際連盟の条文も国際政治の現場では生かされることはなかった。しかもそのような恒久的な平和の理想は国際連合に引き継がれて後も各国の紛争の調停に力を発揮することはできないでいるのは言わずもがなである。  そうした失望感はEliotの『荒地』に所々表されている。特に最初の章の「死者の埋葬」ではエリオットの厭世的な世界観が反映されているともとれる。特にロンドン橋を魂の抜けた亡霊のように通り過ぎて行く通行人の姿は、コロナ禍で人生の目的を失った2020年頃の日本人の姿と重ね合わせることはできないだろうか。キリスト教文化圏の西欧と非キリスト教文化圏にある日本の知的風景を単純には比較できないであろうが、グローバル化のもたらした人や物の交流が仇となり世界的なパンデミックを引き起こしたとは言えないであろうか。  論文の中ではEliot がパリ留学中に交流のあった、フランス語教師のJean Verdenalが第一次大戦で戦死したという悲劇が生涯にわたりEliotの心的トラウマとなり、『荒地』の中でVerdenalに呼び掛けたり、墓からの復活を願う詩行があるという点に触れた。少しオカルト的な側面もあるが、Carl KrockelのWar Trauma and English Modernismを参考文献にしてEliotの内面に迫ったつもりである。  Eliotの『荒地』は難解で英文学専攻の学生の間でも避けられる傾向にあるが、この論文では非キリスト教文化圏にいる日本人でも今回のコロナ禍という視点からEliotの作品にアプローチできる一つの視点を提供する。, Articles, 研究論文}, pages = {17--24}, title = {T. S. Eliot’s traumatic depictions of the wars}, year = {2023} }