@article{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00014639, author = {小山, 和伸}, issue = {3}, journal = {商経論叢, The review of economics and commerce}, month = {Mar}, note = {1. 工業化社会はどのようにして生まれたのか A. トフラー『第三の波』によれば,工業化社会は「第二の波」と表現されている1。トフラーの主テーマは,第三の波である高度情報化社会の実態を説明するところにあるが,彼の述べる文明社会の発展過程を見てみよう。先ず,人類は数百万年の長きにわたって狩猟採集生活をしてきたが,一万年前に農業文明への変革を遂げたとされる。これが,「第一の波」である。J. リフキンはこの一大変革について,一般に理解されているような狩猟採集物の余剰が,牧畜や耕作に回されたとする仮説を強く否定する2。リフキンは,獲物の劇的な減少による絶望的な飢餓が,農耕牧畜文明への変革を導いたと仮定する。このあたりの文明論に関しては,拙書『無知と文明のパラドクス』を参照願いたい3。リフキンはこの仮説を敷衍化し,工業化文明も農牧文明の決定的な行き詰まりが契機となって,興隆してきたのではないかと観ている。この仮説は,意思決定論の仮説からしても甚だ妥当で,一般に人間は今のやり方でうまくいっているものを,わざわざ大きく変えようとはしないからである。H. サイモンは,成功した意思決定は急速にプログラム化されると述べているが4,人間はうまくいった方法を即座に定型化し繰り返す傾向がある。従って,わざわざ手間のかかる大きな変革は,今までの方法が全くうまくいかなくなった時にしか生まれないと観るべきであろう。それは,人間の限定された合理性の故であり,満足のゆく解を見つけ出すためには,膨大な時間と労力を費やさねばならない。だから人間は,たまたまうまくいった方法にしがみつく,強い習性があると言ってよい。こう考えてくると,工業化文明を生んだ農業化社会の末期は,農牧畜文明の限界や矛盾が露呈した甚だ悲惨な状況であったことが予測される。つまり,工業化前夜の農牧社会は,決して一部のロマンチストが抱くような,穏やかで美しい牧歌的な環境ではなかった可能性が高い。 2. 工業化文明の特徴と発展 A. チャンドラーJr. は著書Visible Hand の中で,蒸気機関や電気,あるいはガソリン・エンジンなど天候や季節の影響を受けにくい動力源による機械化を,工業化文明の始まりととらえている5。 当初機械化は,川の流れを利用した水車や,風を使った風車などを工夫して行われた。しかし,これらの動力源は天候や季節によって不安定で,例えば冬場の凍結時には水車は全く動かない。こうした限界が本格的な工業化文明を妨げていた。さて,全天候型の信頼性の高い動力源が開発されると,工業化文明はその幕を開ける。この発展をもたらした各種の発明と開発は,産業革命と表現される。この産業革命を最初に成し遂げたのはイギリスであり,その後を追ったのがフランス,アメリカ,ドイツ,日本,ロシアなどの国々である。A. ガーシェンクロンは,著書Economic Backwardness in Historical Perspective において,後発国は先発国の成功した技術を模倣して取り入れることによって,急速に発展できるという現実と,その発展過程で後発性を補おうとする何らかの独特な工夫を凝らしているという歴史を分析している6。例えば,アメリカはイギリスの蒸気機関を取り入れるが,その生産に当たっては規格部品の組み立て方式による大量生産体制を生み出す。また日本も,欧米の技術や制度を取り入れるが,明治維新以来,官民一体の協力体制を築いて近代化を進めるという独特の手法を展開している。つまり,後発国は先発国が苦心惨憺して生み出した発明を,模倣によっていとも簡単に作り上げることができる。さらに,それをより効率的に作るための方法を,自国の環境に適したやり方で考案し,先発国に急速に追いつき,さらに追い抜くことができる。3. 労務管理の輸入 製品・製法の発明開発と同様に,後発国は先発国が苦心惨憺の上に創り上げた労務管理の方法も,模倣して取り入れることができ,さらに自国の状況に合わせて,より効率的に改良することができると考えられる。例えば,最初の官営模範工場となった富岡製糸場は,当初3年間はフランス人ブリューナを中心とするフランス人経営管理者による経営が行われたため,フランス式の労務管理がそのまま採用されている。例えば,1日8時間労働や日曜日の休業などは,当時10~12 時間労働が一般的だった日本の労働環境からすると,画期的な良環境であったが,そこには18世紀のリヨンにおける絹職人の暴動を通じて築かれたフランス式の労務管理を見ることができる7。富岡製糸場も,日本人経営者の手に移ってからは,1日10時間労働に変更されているが,被服や食事の供給,売店制度や教育施設などの福利厚生制度は引き継がれてゆく。富岡製糸場のみを別格視する向きもあるが,これが模範工場とされており,実際ここで勤務経験を積んだ熟練女工が郷里その他の全国に散って,機械操作にとどまらぬ工場管理の指導に当たったことを考えると,程度の差はあるとしても,フランス式の労務管理はかなりの程度日本全国に広まっていたと考えるのが自然であろう8。紡織産業における労務管理は,産業史上大きな位置を占めているので,本文でも多少詳細に扱うが,日本の労働時間や福利厚生等の管理について,同じ時期のアメリカやイタリアなどと比較してみると,決して劣らぬ水準であったことがわかる。確かに一部には,女工の虐待や誘拐・監禁・強姦などの犯罪も数例報告されているが9,かかる犯罪行為を以って当時の労務管理全般を論ずることは正しくない。 4. 資本主義は,プロレタリアートを搾取してきたのか F. ハイエクは,工業化文明を支えた資本主義とプロレタリアートの誕生について,次のように説明する。プロレタリアートなる無産階級は,農業化社会における自営農主が大資本に搾取されて没落した結果生じたのではなく,農業化時代には生存の余地がなかった人口が,大規模資本が築いた都市部周辺の工場に働き口を求めて集中し,生み育てられた人々である10。これが真実であることは,T. アシュトンの『産業革命』に明らかである11。アシュトンはイギリスの産業革命期18世紀後半からの国勢調査において,小児死亡率の激減を通じて人口が急速に増大している現象に注目している。端的に言えば,産児制限の不徹底な当時,養育可能な範囲を超えた子供は,生存の余地が極めて低かった。ちなみに,柳田国男は南北に長く,方言や風土の多様性のある日本で,なぜどこにでも一様に河童伝説があるのかを自問している12。河童伝説は,やむを得ざる子供の育児放棄であり,「河童に取られた」とは,水子その他の隠語であったと考えられるし,「山姥伝説」またしかりと言うべきであろう。産業革命期の工業化文明は,こうした子供たちが生きていけるだけの仕事を生み出した。イギリス産業革命期の初期の18世紀半ばには,小さいものは3歳から,さらに多くの5~6歳の小児労働者が現れ,紡織産業を中心に金属加工や工作機械,炭鉱など,13歳以下の小児労働者は労働者全体の3分の2を占めていたと言われる13。19世紀半ばの記録でも,小児労働者は全体の約30%を占めている14。つまり,工業化資本主義社会の出現によって,農村部の余剰人口は,5歳まで育てればあとは都市ないし山間部の工場で,労働者として働き生きていくことができるようになった。またアシュトンも指摘している如く,産業化の発展によって清潔な布や石鹸,洗剤などがこれまでより容易に入手できるようになり,衛生面の改善によって幼児死亡率が低下した点も勿論重要であろう15。さて,彼らが長ずるにしたがって,彼らへの待遇,男女の性的な問題,教育問題などが社会の重要問題として議論されるようになる。成人した小児労働者は家庭を築き,かくしてプロレタリアート階級は生み出されていったと考えることができる。小児労働の労務管理は婦人労働の管理と並んで,軽工業部門における第一次産業革命期に重要な意味を持っている。この管理実態についても,いわゆる風評的なイメージに惑わされない検証を試みてみたい。とかく,マルクシズム的な経済社会観から,牧歌的な農村に襲い掛かった大資本の論理によって,子供も女性も工場に駆り出されて搾取されたという解釈を散見することがある。しかしながら,例えば小児労働者は上述したように,農業化社会では生存の余地のなかった子供たちであり,その賃金所得は家計所得の増大に貢献した16。無論,多くの低賃金小児労働は産業の発展を支え,技術革新とともに生産性を向上させてゆく。この結果,成人の賃金所得が増大し,小児労働の必要性が下がり,産業革命期の末期には,小児労働は姿を消してゆくことになる。この流れを見ると,工業化と資本主義社会の経済システムは,全般として明らかに労働者階級の所得増大に貢献してきたとみることができるのではないだろうか。 注 1.トフラー,A『. 第三の波』The Third Wave William Morrow & Company 1980 2.リフキン,J『. エントロピーの法則』 Entropy Bantam Books 1980 3.小山和伸 『無知と文明のパラドクス』 晃洋書房 2017 4.Simon, A. H. The New Science of Management Decision Prentice-Hall 1960 5.Chandler Jr., A. D. The visible Hand: The Managerial Revolution in American Business Harvard University Press 1977 6.Gerschenkron, A. Economic Backwardness in Historical Perspective Bleak House Books 1962 7.Moissonnier, M. La Révolte des Canuts Lyon, Novembre 1831 Éditions Sociales, Paris, 1978 8.今井幹夫『富岡製糸場の歴史と文化』みやま文庫 2003, 今井幹夫『富岡製糸場と絹産業遺産群』ベスト新書 2016, 上毛新聞社『富岡製糸場事典』シルクカントリー双書 2014, 志村和次郎『絹の国を創った人々』 上毛新聞社 2014  9.農商務省『職工事情』1903 10.ハイエク,F『. ハイエク全集』1-5 春秋社 2007 11.アシュトン,T.『 産業革命』The Industrial Revolution 1760‐1830 Oxford University Press 1968 12.柳田国男,『柳田国男全集』筑摩書房 2014 第4巻 13.アシュトン, T. op. cit. 14.Cunnigham, Hugh, and Pier “ Child Labor in Historical Perspective 1800-1985: Case studies from Europe.” UNICEF Florence 1996 15.アシュトン, T. op. cit. 16.Nardinelli, C. Child Labor and the Industrial Revolution Indiana University Press 1990, Departmental Bulletin Paper, 論説}, pages = {167--193}, title = {技術と産業社会 -日本労務管理史の再考に向かって-}, volume = {57}, year = {2022} }