@article{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00014325, author = {橋本, 宏子}, issue = {1}, journal = {神奈川法学, KANAGAWA LAW REVIEW}, month = {Sep}, note = {本稿の目的は「福祉計画」の策定過程への住民の「参加権」、その構築に繋がりそうなことを、社会保障法の立場から多角的に考察することにある。特別蓑護老人ホームや保育所などの利用においては、サービス自体の物理的制約を無視できないから、仮にサービスの利用について利用者に「権利」があるとしても、サービスの供給醤等によっては、その「権利」は絵に描いた餅になりかねない。人的・物的サービスの種類、内容、その供給醤あるいは供給方式は、全面的に行政計画によって主導され決定されるべきものなのだろうか。国民の生存権が憲法の人権保障の一環であるとの視点にたって、社会保障行政における国民の権利を考えた場合、何か腑に落ちないものが残る。このようにみてくると、社会保障に関する計画、なかでも特別養護老人ホームや保育所など住民に身近な人的・物的サービスの供給に関係する「福祉計画」の策定過程に住民が関与することが、国民の権利の一環として極めて重要なことに思えてくる。財政危機が深刻な今だからこそ、市民の基本的生活基盤となる人的・物的公共サービスの供給量等の計画に関し、市民と政府の真摯な対話の必要性が感じられる。しかしながら、その「対話」とは法的には、どのような意味をもつことになるのだろうか。検討すべき課題は山積している。公法理論においては、民主主義的参加のー類型である行政立法や抽象的な行政計画(住民に直戟の効果を有する行政作用の事前の段階でなされる行政作用)において、行政運営の民主化のために何らかの形で住民の意思を反映させることを求める「住民の権利」というものが、民主主義の原理等から理論的に根拠づけ得るかは、にわかには肯定しがたい問題と考えられているようである。さりながら社会保障法に関心をもつー研究者からすると、「住民の有する実体的な権利•利益」がなぜ「個別的な行政処分によって不利益を被る個別市民の権利」に限定されるのか、という素朴な疑問がある。人間の生存を保障する権利の概念は、住民の有する実体的な権利• 利益を支えてきた従来の権利概念とは異なった基準(価値判断)を設定しないかぎり捉えられないのではないだろうか。そんな思いも浮上してくる。本稿は、上記の問題を考えるひとつの手がかりをアメリカにおける「統治」を検討することに求めている。アメリカ合衆国憲法の人権カテゴリーの体系には、いわゆる社会権の規定がない。にもかかわらず、なぜ人々の生命•生存に関わる分野で憲法的保障の権利が形成されてきたのだろうか。アメリカでは、政府だけでなく市民社会の側からの動きも含めて、統治を包括的なかたちで実行するという考え方がとられている。特に現代では、representativegovernmentの限界を補うために、市民が政府を民主的に統御することが求められている。つまりアメリカでは、行政手続を含む(本稿の関心からすれば「福祉計画」の策定過程も含む)統治権力全体がどうやって国民の権利を実現できるようにするのかということが重視されている。このことは、計画が、implementationに係る計画(条件整備を含めた計画)として作成されなければならないこと、「福祉計画」の策定過程における市民参加が、「統治」との脈略でとらえられていることと深く関わっている。市民参加に関連することとして、1independentなindividual (自立した個人)」が権利の実質を創っていくというアメリカ憲法の人権論の基本的な考え方にも言及しておく必要があろう。こうしたアメリカの状況に対し日本では、結論だけ述べれば政府と市民の間が切断されている。また、アメリカ市民についていわれる「independentなindividual(自立した個人)」のイメージを、日本人にそのまま適応できるのかという問題もある。社会福祉協議会は、その理念として「住民主体の原則」を掲げてきた。しかし日本人における「主体」とは何か、課題は残されたままである。本稿が「福祉計画の策定過程」への住民参加に着目する理由のひとつは、その過程が「他者との関わりのなかで、個々人の主体性が醸成されていく過程(流れ)」のひとつの姿に他ならないからであり、そこに「日本人の自我の特性」に即した市民社会の側からの包括的統治形成への契機を期待するからである。本稿では「福祉計画の策定過程」を、個々の住民の関与(engagement) を基礎に、住民の「権利」の視点からやや詳細に考察した上で、制度的に規定された人権概念としては、住民の「参加権」はどのような論理で構築できるのかに検討の焦点を移している。前述のようにアメリカでは、連邦憲法の修正条項による人権保障には社会権は規定されていないが、公民権法がそれを具体化し、実質化している。日本においては、憲法の人権の実施法や体系として、社会権の個別規定の条文があり、また社会権の実施法が制定されている。日本とアメリカでは、人権保障の実現の法的手立てに違いがあるということになる。このような違いから、日本では、公民権法に準じるものに規定するというよりは、社会権、社会福祉人権の実現・実施の法律(たとえば00基本法など)に「参加権」について書き込んでいくことが考えられるが、これは立法技術とからむ問題である。本稿では、社会福祉法に注目し「住民の参加権」の法的性格も含め上記の点について、試論としての検討を行っている。, Departmental Bulletin Paper, 論説}, pages = {1--121}, title = {社会福祉(計画)における住民参加の再構築 -アメリカの「統治」概念を手がかりに-}, volume = {51}, year = {2018} }