@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00014213, author = {加藤, 幸治}, month = {Feb}, note = {国際常民文化研究機構共同研究「戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究」では、渋沢水産史研究室の活動の全体像と同人たちの調査研究の追跡調査のみならず、その同時代的背景にも目を向けながら多角的に分析を行ってきた。その目的は、アチック・ミューゼアムの研究所としての実像を把握することによって、渋沢敬三のいう"ハーモニアス・デヴェロップメント"の実像に迫ることであった。漁業史に関するアチック・ミューゼアムの資料紹介や民俗誌は、1935(昭和 10)年から終戦までに、アチック・ミューゼアム彙報やノートとしておよそ 30 冊が刊行された。後に水産史へと研究を拡大させたこの研究活動は、社会経済史的な性格を色濃くもち、それに従事した同人も経済史の出身者が大半を占めた。その研究の蓄積から、渋沢敬三は1941(昭和 16)年、帝国学士院が紀元二千六百年記念事業のひとつとして企画された『日本科学史』のうち「漁業」を担当することとなった。その目次は日本水産史を総覧するものであり、内容的にも技術史のみならず、経営、労働、流通、分配、儀礼なども含めたもので、まさに常民文化研究そのものであった。昭和 10 年代後半の渋沢水産史研究室の研究は、こうした公的な事業とのかかわりの中で進められたものであった。しかし『日本科学史』編纂事業は、戦争激化によって頓挫した。本報告書で検討したいのは、渋沢水産史研究室の活動に対し、見えてきた二つの論点である。ひとつは「同時代的な布置」である。これは、民俗学史としてではなく、近代の歴史のなかに、アチック・ミューゼアムを位置づけなおす試みとして避けて通ることができない。もうひとつは「問題意識の多様性」である。これは、アチック・ミューゼアムと渋沢水産史研究室に深くかかわった何人かの人々の、昭和 10 年代の研究を明らかにし、戦後の研究をどのように展開していく基礎となったかを見直すことで、ひとりひとりの問題意識を読み解く試みである。, Book, 第Ⅱ章 アチック・ミューゼアムの「同時代的な布置」}, publisher = {神奈川大学 国際常民文化研究機構, International Center for Folk Culture Studies}, title = {アチック・ミューゼアムの水産史研究における「同時代的な布置」と「問題意識の多様性」}, volume = {13}, year = {2019} }