@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00014166, author = {北野, 隆亮}, month = {Mar}, note = {埋蔵文化財発掘調査で出土した中世の備前焼出土事例を集成し、時期別の分布や出土傾向などを分析し、紀伊半島における備前焼の流通状況を整理した。 Ⅱ期(鎌倉時代中期)の分布は、北部地域に位置する紀ノ川流域の根来寺遺跡を中心に分布する。備前焼は、まず鎌倉時代中期に根来寺遺跡に搬入された。Ⅱ期の備前焼を一定量所有する根来寺遺跡は、備前焼流通において特別な存在であるといえる。Ⅲ期(鎌倉時代末期~室町時代初頭)は北部地域が流通の中心であるが、南西沿岸部の主要な城館の周辺にも分布し、日置川下流域の安宅荘を南限とした地域に一定の面的分布範囲を広げる。備前焼の出土状況などから安宅氏が海上輸送に水軍領主として関わっていたことを看取できる。また、南東沿岸部の新宮城下町遺跡に孤立的分布がみられる。この時期の備前焼は鎌倉でも出土しており、その流通路として太平洋海上輸送が考えられており、新宮城下町遺跡は中継地として位置付けられる。Ⅳ期(室町時代前期~中期)は、出土事例が急激に増加する。半島南西沿岸部に濃密に面的に分布し、川関遺跡など半島南東沿岸部でも一定の面的分布を示す。Ⅴ期(室町時代後期~末期)に入ってからも多くの出土事例がみられ、その主体を和歌山県北部地域が占める。特に北部地域において十六世紀に新たな出土地が増加する。出土量についても増加傾向を示し、前段階までの壺・甕・擂鉢に加えて、水差、建水、水屋甕、徳利、浅鉢、皿、盤などの新器種が加わる。 紀伊半島は中世を通じて備前焼流通における商圏拡大の場であったといえ、中世末期には紀伊半島南東沿岸部までを面的流通圏に入れることに成功した。紀伊半島太平洋沿岸部を流通圏に入れることは、関東方面への太平洋沿岸海上輸送ルートの確保といった意味合いも強いといえる。, Book}, publisher = {神奈川大学日本常民文化研究所, Institute for the Study of Japanese Folk Culture, Kanagawa University}, title = {紀伊半島における中世の備前焼流通}, volume = {29}, year = {2021} }