@book{oai:kanagawa-u.repo.nii.ac.jp:00014135, author = {磯本, 宏紀}, month = {Feb}, note = {山口和雄(1907-2000)のアチック・ミューゼアム入所は昭和10年4月だった。東京帝国大学の恩師土屋喬雄からの紹介によるものだった。以降昭和21年9月に日本常民文化研究所(昭和17年改称)を退所するまでの11年余り在籍した。この時期は、山口にとっては20代後半から30代後半にあたり、若手研究者としてその後の研究を左右する重要な時間を送ったと言える。 この間の山口のアチック・ミューゼアムにおける現地調査は、昭和10年から12年の3年間を中心に行われ、内房漁業史調査、隠岐調査(桜田勝徳、岩倉市郎と同行)、島根県美保関、広島県三津町、愛媛県大三島で調査、九十九里調査(地曳網漁業調査)、富山湾灘浦(氷見)(台網漁業史調査)、瀬戸内海巡訪(渋沢らと同行)、志摩和具村調査(海女調査)(桜田勝徳、岩倉市郎、宮本馨太朗、小川徹らと同行)と続いた。この時期を山口のアチック・ミューゼアム前半期とした。 また、このときの調査成果は、『アチック・ミューゼアムノート』、『アチック・ミューゼアム彙報』等にまとめられた。アチック・ミューゼアムの中でもトップクラスの発表数であり、アチック・ミューゼアム水産史研究の主力となって活動していた。ただ、その後昭和13 年の渋沢栄一伝記史料編纂所への異動、兼務状態となり、水産史研究から若干距離を置くようになる。また、戦局の悪化により、現地調査もままならない状況に陥っていった。この時期以降をアチック・ミューゼアム時代の後半期と本稿では位置づける。 アチック・ミューゼアム時代の前半期(昭和13年の澁澤栄一伝記史料編纂所以前)は現地調査を中心とした一次資料の調査・分析を行い、後半期は現地調査が十分行えない中で、漁業史の体系化に向けた構想を進めた。こうした作業が、戦後に刊行される『日本漁業史』『日本水産史』『明治前日本漁業技術史』等の大きな成果となって実を結んだ。一方、山口和雄自身は、戦後は水産史研究にとどまらず、広く経済史研究に邁進し、同分野の確立と発展に貢献した。, Book, 第Ⅲ章 水産史研究室同人の「問題意識の多様性」}, publisher = {神奈川大学 国際常民文化研究機構, International Center for Folk Culture Studies}, title = {山口和雄の網漁業研究にみるアチック・ミューゼアム時代の水産史研究の位置づけ}, volume = {13}, year = {2019} }